知らねばならない
今日も、ニュースで沖縄の基地問題が流れていた。
いつもこの手のニュースを見聞きするたび、まだ戦後は終わっていないんじゃないかと思ってしまう。
確かに昭和20年8月15日に戦争が終わって、64年。
奇跡的な復興を遂げ、先進国と呼ばれるようにまでなった。
戦後たった10年ほどで、経済白書に「もはや戦後ではない」そう書かれたりもした。
確かに経済的、物質的には間違いなく復興し、さらに大きく発展を遂げた。
そのことに何の間違いもない、異論を挟む余地はない。
私を含め、大半の人間が戦争を知らない。
しかし、本当の意味で戦後は、戦争は終わったのだろうか?
私は全くそう思えない。
基地問題のことは安全保障上、外交上、仕方ないのかもしれない。
沖縄の犠牲は仕方ない、仕方ない。
みんなそう思うしかないのかもしれない、そう思わないと生きていけなかったことくらいはわかる。
深い心の傷を負っても、生きて行かなければ、忘れたことにして口をつぐんでしまうことで、生きていくしかなかったのかもしれない。
今、平和な時代になったからこそ、目を逸らさずにみなければ、知らなければならないのではないか?
まだ、幸いなことに少数だが戦争体験者も生きている。
いろいろな形で記録も残っている。
あの時、一体何があったのか、何故そんなことになってしまったのか。
そして今、何故こうしていられるのか、
私たちは知らねばならない、考えなければならない。
私はいつもそう思う。
私の母は、昭和10年生まれ。終戦時、10歳。玉音放送を実際に聞いた一人だ。
しかし、あまり当時の話をしたがらない。
戦争をテーマにした映画のPR動画やドキュメンタリー番組が、TVで流れるだけで、顔を歪めチャンネルを替える。
母の戦後は今だ終わっていないのだと、私は思う。
しかし私は、その母に何度も当時の話を聞く。ゴメンと謝りながら。
一番聞きやすい相手だからだ。
申し訳ないと思う気持ちがないわけじゃない。
しかし、生きている人間から聞くことが何より正確だからと思うからだ。
学生時代から、33歳の今に至るまで機会があるごとに、当時を知ろうという努力をしている。
記録映画を見、文献を読み、TVでドキュメンタリーがあれば見、記念館や資料館にも足を運んだこともある。
自分の出来る範囲での努力をしている。
それでも、全てわかるわけもない。
私の拙い頭で感じたことは、あの戦争で負けた日本も勝ったアメリカも、一番犠牲になるのはエライ人達じゃなく、私たち一般庶民だということ。
誰も幸せになることはない。
戦争で死んだ人も、
生きて帰った人も、
ともに地獄を見る。
死んだ人はそこで終わりだが、家族の地獄はそこから始まる。
生きて帰った人は、その場で地獄を見、その体験そのものがその後の人生に影を落とす。
何も生まず、得るものはない。
そしてその犠牲に誰も責任をとらず、そのことにさらに大きく傷つく。
銃後を守った家族は、いつ終わるとも分からない戦いで、全てを失い、餓えに苦しみさらに家族をも失う。
戦争が終わっても、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べと言われ、生きることが地獄。
戦争に正義を持ち込んでみたところで、詭弁でしかない。
そんなことぐらいしか、いうことが出来ない私だが、これからも当時何があったのか、何故そうなったのか、何故今があるのかを知りたいと思う。
そして子供達に、語り継いで行かなければならないと思う。
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